たぬちゃんのオーストラリア旅行(第八日)

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・1991年3月18日(晴)

ケアンズの街は、いかにも海辺のリゾートという感じが漂っている。気温も湿度もちょうどいいくらいだ。

9時過ぎくらいに他の人たちが泊まっているホテルへ移動する。今日はそこから「グリーン島」へと移動することになっているのである。ケアンズの海は、戦時中に軍港として利用出来るように底を堀ったために、泥が広がり、それがいまだだに浄化できていない。そのため「抜けるような青空」の下には「どんよりよどんだ茶色い水」というアンバランスが発生している。それ故観光客は、沖の島ままで船で移動し、そこでマリンスポーツを楽しむという形になっている。

グリーン島へは高速艇での移動だったのだが、この船の揺れること、揺れること。立っていることが出来ないくらいの揺れだった。おかげでほとんどの人が船酔いにやられてしまった。比較的酔いに強い私は往路はなんとか、元気だったのが、復路はかなりキテいた。

グリーン島は、そんなに大きな島ではないのだが、本当にきれいな砂浜が広がっている。海は限りなく透明で、空は抜けるような青空。まさに絵にかいたような絶景である。素潜りを試みたが、2mも潜らないうちに、色とりどりの魚を間近にながめることができる。もしダイビングが出来たなら、本当に楽しいのではないだろうか(体験ダイビングもあったのだが、当時の私たちにとっては、あまりにも高価だったことと、時間的な問題があり断念した)


ちなみにまったく泳げない人には、水中を覗ける塔がある。それならば、服を着たままで海中散歩を楽しめる。

昼食は、島中央部にある売店で... とはいっても大したものはなにもなかった。日本ならば、もっといろんな店が軒を並べることになるんだろうけど...

先にも書いたが、復路の船の揺れはさらにひどかった。船内には、子供の吐瀉物の臭いが充満し、それによって連鎖反応でトイレにかけこむ人が続出。かくいう私たちのメンバーでトイレの世話にならずにすんだのは、私とN、さらにはNさんの3人だけだった。その中でもNさんは「ニコニコ笑っている」という状態。なんでも「ジェットコースターなどの揺れが大好き」ということで、「もっと揺れて欲しい」とまでいっていた。まあ人それぞれということで...

この日の夕食は
Charrie'Sという中華バイキングのお店で... 1千円程度の割にはおいしい料理だった。特にここはデザートのケーキをとるとソフトクリームをかけてくれるというサービスがある。ケーキの種類は10種類程度だが、そのどれもが日本のそれより大きく甘い。その上にソフトクリームがかかるのである。甘党の私でも2個食べることは出来なかった。が、Nはなんと10種類すべてを制覇!普段は甘いものを食べないのに、さすが大阪人! もとをとるためにはなんでもする。ってさすがに夜はしんどそうだったけど...

その後、疲れがたまっているという名古屋組2名とKさんFくんを除く7名で、夜のケアンズ探訪へと出かけた(ちなみにガイド氏には、夜間は外出しないほうがいいといわれていたのだが)。途中酔っぱらいに絡まれたりしながら、ガイドブックにのっていた店を探してさまよい歩く。ようやく見つけたお店はいわゆるショットバー形式になっているのだが、カクテルが非常に変わっていた。

カクテルの種類は別に普通なのだが、なんと「試験管」に入った状態で手渡されるのである。つまり...飲み終わるまで置くことが出来ない。まわりを見ると、一気に飲んでしまう人が多かった。

2時間程度、店にいたのだが、カバーチャージなどがないため、千円未満で済んだ(なんせ1杯が100円程度だから...)しかし、調子にのっていたため、我々の酒量は日本では考えられないくらいになっていたようだ。ということで、私は完全に壊れていた。普段なら女の子と二人きりで話をすることなどないのに(この癖未だになおっていない。普通に日常会話ができるようになるまで下手すると1年以上かかる。誰も信じないが、私は非常に内気なんである)Nさんを一生懸命口説いていたらしい...確かに可愛い子だったし、よく笑う明るい子=好みだったことは否定しないけどね。Fさん曰く「二人の世界が出来上がっていた」 悪友曰く「どうみても口説いていた」 どっちが正しいのかはわからんが、女性の目を信頼して「二人の世界が出来上がっていた」に軍配を上げたい...酒が悪さをしたのか?
うーむ。あまり記憶が...

後日、見せられた写真には、Nさんとツーショットのものが数枚あった。でもそんなの撮った(撮らせた)記憶はないんだけど、撮ってくれた人曰く「おまえがツーショットで撮りたいって言った」と...
ちなみに当然というかなんというか、Nさんとその後なにかあったということは、ない。(あればプロフィールが変わっていただろう)。さらに言えば、手すら握っていない(あう、未だ女の子の手握ったことないや。情けないなあ)

帰国後、手紙のやりとりは数回続いたのだが、そのまま消えてしまった。いまとなっては連絡先すらわからない...ま、よくある青春時代のいい思い出だろうな。
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