たぬちゃんのオーストラリア旅行(第五日)

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・1991年3月15日(晴)

エアーズロック二日目の朝は早かった。昨夜なんだかんだで、寝たのは3時頃になったのだが、この日は「日の出ツアー」に参加するということで5時頃には起きなければならなかった。
朝食は、前日ホテルフロントに頼んでおいた「Morning Set」。紙製の箱に食パン3切れ(こっちの食パンってサンドイッチ用のように薄く切ってあるから、3枚で5枚切り1枚くらいにしかならない)とインスタントコーヒー、それにバターとなにやらチョコレートクリームのようなものが添えられていた。
半分寝たままで、お湯を沸かしパンを焼き、男三人のむさ苦しい食事が始まったのだが、ここで悲劇がまたもやTを襲った(悪魔に好かれる男=T)

当初チョコレートクリームと思われた物体であったが、Mと私の二人はその臭い(なんていうか、食べ物とは思えない臭いがした)に気づきバターをパンにぬってたべていたのだが、半分どころかほとんど寝たままのTは、あろうことか、その物体を大量にパンにぬってそのパンにかぶりついた!

次の瞬間、Tの悲鳴が部屋に轟いたのである。完全に目が覚めた様子のTは流しに走って口をゆすいでいる。我々には、なにがおこったのか理解できなったのであるが、ようやく少し落ち着いたTの「塩の固まりを食べたようだ」で状況を理解した。チョコレートクリームのような物体は、チョコレートではなく、オーストラリア独自の食品だったのだ。

#どう考えても人間の食べ物とは思えなかった。まあ納豆やら塩からも普段食べない人からみれば、とんでもないものなんだろうけどね。

Tのおかげで完全に目が覚めた我々は、意気揚々とバスに乗り込んだ。周りの人はほとんど寝たままであったが、我々三人だけは元気で「やっぱり関西人はやかましい」というイメージをすりつけたようだ。(このバスには新婚旅行中と思われるカップルも数組乗っていた。当時は全然実感沸かなかったけど、今の僕よりみんな若かったんだろうな)

一日に何回も色を変えるというエアーズロックの日の出を堪能した我々は、引き続き登山ツアーへと参加した。なんでもこのコースが一番エアーズロックを楽に登れるそうだ。午後になると、とんでもない暑さとの戦いがあるので、出来るだけ涼しい早朝に登れば楽だと...誰がいったんだ!

高所恐怖症の私は、真ん中あたりで挫折してしまった。日本の山と違い、周りに木々がないということがこんなに怖いものだとは思わなかった。体力的なものよりも先にへたってしまった。

そんな私の横をバスの運転手が、駆け上がっていく。そう、バスの運転手兼ガイドのみなさんは、毎日のようにエアーズロックに登っているのだ。そのため、がっしりした身体の人が多くなるという訳。しかしあの山っていうか岩を駆け上がるだなんて...

その後ホテルに戻った我々は、昼食を食べるためにとなりのシェラトンホテルに向かったのだが、我々の泊まっているホテルとは別世界が広がっていた。きれいなロビー。飛び交う日本語。レストランの数々。そしてプール。
サンセットツアーまで時間があったので、内緒でプールで泳いだ。日本のホテルとは違い、特に入り口でチェックがないのがありがたい。

夕刻からはサンセットツアーに参加。朝とは異なる方向からエアーズロックを眺める。確かに色が徐々になくなっていくのはきれいだ。でもなんであんな変なものが出来たんだろうな? 自然の不思議さには圧倒される。

夕食はまたもや冷凍食品。そしてその後はおきまりのトランプ大会。結局この日も1時頃までトランプを続けていた。
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