たぬちゃんのオーストラリア旅行(第四日)

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・1991年3月14日(晴)

シドニーでの短い滞在が終わりユララリゾート(エアーズロック)へ移動する日になった。言い換えれば、ガイドがいなくなる日である。

よしこさんは空港まで我々を送ってくれたが(この日も黒色の服だった)そこでお別れ。小型機でユララエアポートへと移動する。

眼下に広がるのは「赤茶の世界」その中に細く白い線が走っている。この線が道で唯一人間の営みを感じさせるものである。あまりの広大さに時間感覚が麻痺したころにユララに到着。

このエアポートも我々の常識を覆すものだった。飛行機をおりたとたんハエの洗礼を受けたこともだが、空港の建物というのがはっきりしないのだ。つまりどこからが空港の敷地なんだかよくわからないつくりになっている。
さらに我々の荷物はコンテナのようなものに放り込まれており、その中から自分で荷物を探せといわれた。なんだかなあ...

さて、ここからがガイドがいない旅行の始まりになる。まずはシドニーで言われたとおり、空港の中にある公園管理受付にいく。そこでバウチャーをみせたのだが、特に反応はなし。なんかよーわからん状況になった。

ホテルへの移動はバスになるのだが、どこにもホテルの名前が記載されていない。仕方がないので係員に我々のホテルの名前「ユララメゾネッツ」をいって聴いてみたが通じない! 数回繰り返すと「オー! メイソネッツ!」ってそんなに変わらないじゃないか!

そうするとバスのほうにいた別の係員が早くこのバスに乗れ、とせかした。あわてた我々がバスに向かうと「とりあえず二人だけ乗れ。それ以外は次のバスだ」といわれた。結局TとKが先に乗ることになったのだが...

次のバスというのはすぐにきて、我々は無事ホテルへと着いた。ところが!
ホテル玄関に先にいったはずの二人の姿がない! フロントに先にいったのだろうか?と思いフロントへ向かうがそこにも姿がない?

宿泊バウチャーは私がもっているから、先にチェックインしたとは考えられない。フロントの人に聴いてみるが「誰も来ていない」という。いったいどうしたことだ?

どのように探せばいいのかすら思いつかず途方にくれてしまった。ホテルの人が見かねて空港にも連絡をとってくれたのだが、それらしい人はいないとうこと。
いきなり行方不明になってしまった!

結局それから20分ほどしてから二人はホテルの人の自家用車で現れた。なぜか二人の乗ったバスはこのホテルによらず、一番端のホテルまで連れて行かれたということ。仕方がないのでそこから歩こうとすると、5kmほどあるから無理といわれ途方に暮れていた。そこにたまたまこのホテルの従業員が通りかかって、同乗させてくれたということだ。

でも係員は確かに「このバスに乗れ」っていったんだよなあ?

ようやく全員がそろったところで、解散。このホテルは基本的に自炊となっているため、まずは食料の買い出しから。とりあえず男三人ではなにも料理を作れないので冷凍食品を購入することに。

それと空港でもそうだったのだが、このあたりは異常にハエが多い。目も開けられないくらいなので、帽子とハエよけの網を購入する。まあ日本では出来ない格好ですけど...

夕方からはサンセットツアーに参加する。エアーズロックやマウントオルガのビューポイントにバスで連れて行ってくれるのだ。このバスの運転手はみんな非常にいい体格で健康的なスポーツマンである。なぜそうなのかは翌日わかったのだが...

サンセットツアーから帰ってくると、食事をするしかない。といっても冷凍食品だからあっという間に食べ終わる。時間をもてあましていた我々に、ツアーメンバーの東京組(AくんとIくん)から「飲みませんか?」と誘いがかかる。結局11人全員でホテルの中庭でビールを飲むことにする。

ビールを販売している売店は大きな鉄の扉で外界から遮断されている。しかも扉を開けるとサイレンが鳴るようになっている。これはアボリジニが勝手に入ってこないようにだという説明だった(本当かどうかわからない)

ここで飲んだビールはxxxx(フォーエックス)というブランド。オーストラリアの代表的なブランドということだが、非常においしい。結構癖になる味だった。

9時過ぎまで中庭にいて、その後我々の部屋に移動して大トランプ大会が始まった。このトランプ大会は旅行中毎晩繰り返されることになる。結局1時頃までトランプを続けていた。

この日を境に、11人が一つのグループになれたような気がする。明日は朝もはやくから日の出ツアー − 登山と続くハードな一日になるはずである。
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