長崎(第二日)
旅行日:2004年4月29日-5月1日

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前日就寝時に考えていた本日の予定は、朝一番で孔子廟を訪問。そこからタクシーで
長崎駅前へ。10時発のバスで小浜温泉。ってものでした。が、朝ご飯食べて、部屋に
戻りなんとなく時刻表を眺めていると、急に雲仙にまで足を伸ばしたくなりました。
時計を見ると、8時ちょうど。次のバスは8時20分。ギリギリ間に合うかどうか.
カバンにカメラなど、必要なものをぶち込んで、部屋を飛び出し、ホテル前に停まっ
ていたタクシーに飛び乗りました。長崎バスターミナルに到着したのが、8時18分。
なんとかバスに間に合わせることが出来ました。バスは、小浜温泉経由で雲仙へ向か
います。小浜温泉で一度海岸に降り、そこから山に分け入り結構な坂道を上ること数
十分。雲仙ビジターセンターがあるとガイドブックにかかれている、バス停に到着し
ました。バスを降りると、鼻をつく硫黄臭。数十メートル先には「雲仙地獄」が待ち
構えています。歩道まで噴気が流れてきており、強烈な硫黄臭に目まで痛くなります。

雲仙は20年ほど前に、修学旅行で訪れています。が、宿に着いたのは日が暮れてか
らで、朝もすぐ出発したんで、まったく記憶がありません。たぶんここに泊まったん
じゃないかな?と思われるホテルから、地獄まで徒歩数分。なにしてたんでしょうね?

地獄には、いろんな名前がついています。お糸地獄のように人の名前がついているも
の、大叫喚地獄のように、見た目を表しているもの。いずれにしても、噴気と地面か
ら沸いている熱湯による熱気がすごく、まさに「地獄」です。道路を挟んだ反対側に
は、すでに活動を停止した地獄もあり、この世のものとは思えない風景です。

ガイドブックにビジターセンターのことがでていますが、なんとガレキの山になって
いました。建て直しなのか、それとも...いずれにしてもGW期間中とは思えない
くらい人が少なかったです。

旅館やホテルも、立ち寄り湯の看板がでていますが、少しお高いようだったので、新
湯大衆浴場へ向かいます。こちらは100円で入湯できるんですが、直接現金払いはダ
メで、途中にある土産物屋さんで「入浴券」を購入していくという形式になります。

私が訪れた時、温泉には誰もいませんでした(管理人さん含む) どっちが男湯かの
判別すら難しいような(中のトイレで判った)ひなびた建物です。ちょっと気持ちが
悪いかな? お湯はまさしく硫黄泉で、5分も浸かっていないのに、体力を奪われま
した。保温効果は最高なんですが、体力勝負ですね。

その後、指湯(某旅館玄関にある)などを眺め、13時のバスで小浜温泉へ。伊勢屋
旅館にて、小浜温泉入湯。こちらは食塩泉なんですが、どうも人が少なく、風呂の掃
除も行き届いておらず、しっくり来ませんでした。せっかく、高温。湯量豊富な温泉
なんですから、もう少し掃除をすれば、もっと人が集まるんじゃないでしょうか?
バスターミナルも汚い。それに観光客のことをまったく考えていないという状況。地
元の方でないと、バスをうまく使えないよ。バス会社二社があって、それぞれ別のタ
ーミナルだなんて...ガイドブックの「一日x便」ってのは、たいていすべての路
線の合計だけど、どっちかだけだったらその半分以下になっていることが、多いもの。
んで、ライバル会社の時刻は一切案内してくれないし、行き先はよく判らない地元用
表記だし... 

小浜の街では、昔さださんがコンサートされています。雲仙普賢岳大爆発の時に「夏
長崎から」、それからがまだせコンサートにも参加されていたかな? 海岸沿いに小
さなステージがあったんで、どうやらそこが会場だったようです。

この街にも弘法大師は、こられているようで、お大師様の像がありました。かならず
ご縁があるようです。昼食は、島原名物具雑煮をいただき、14時のバスで諫早へと
向かいました。

諫早からJRの快速に乗り換え、浦上で下車。平和公園へ向かいます。公園は今日も
静かでした。でも、原爆について、戦争についての理解度が極端に落ちてきているこ
とを実感させる会話を、たくさん聞きました。なぜ公園には水があるのか? なぜ千
羽鶴がたくさんあるのか?もう一度、そこから始めないとダメなんではないでしょう
か? 主義主張を超えた「人として」の平和を求めるなら...

平和公園を後にし、如己堂経由で、浦上天主堂へ向かいます。迫害されたキリシタン
の歴史、そして原爆という、二つの悲しい歴史を背負ってなお、無言で建っています。
その無言の言葉(矛盾していますが、そうとしかいいようがありません)が、私の中
に飛び込んできます。私自身は、クリスチャンじゃありませんし、特に信心深いほう
でもないのですが、こちらのマリア様はなにか歴史を語ってくださっているようです。
教会でこのような思いをするのは、ここと、アントワープのノートルダム寺院でしょ
うか?

如己堂の永井隆先生にしても、平和公園をはじめとする原爆関連の史跡にしても、その背
景にある歴史を知らなければ、なんの価値もありません(如己堂なんて、極言すれば、単な
るアバラ屋です) 歴史を知り、これらの史跡の前に立ち、心で語りかけると、必ず彼らは、
回答をしてくれます。人間が負っている「業」 そして「力」について...


その後、爆心地を経由し、路面電車で出島に向かいました。以前に訪れた時には、ミ
ニチュア出島しかなかったんですが、今回はいろいろ建物が再現されていました。あ
と少しで、再現も完了するようで、工事が続いていました。

やっぱり平和公園訪問は疲れました。考えることが多すぎて、頭がついていかなくな
るんです。そういった訳でまだ5時でしたが、ホテル横の江山楼 新地新館で夕食を
取り(ここの東坡肉が本当においしいんだ)さっさと寝てしまいました。

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(by たぬちゃん)