たぬちゃんのオーストラリア旅行(第二日)

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・1991年3月12日(曇)

空港についた我々はまずは外貨へ両替を行うことから始めた。別に気負う必要はないのだが、私にとっては初めての海外。意味のある英会話をするのも初めて! ということで気負っていたんでしょう。両替なんて [Change Please!]で通用するのに英文を組立ようとしてよけいに崩壊してしまった。でも結果として両替は出来たけどね :-)

ゲートを出るとそこには東京参加4名と名古屋参加2名。それにガイド(この時点では全行程このガイドがいっしょと信じていた)の「
オセアニアンのよしこ」さんが待っていた。

この時点で午前8時。我々はすぐにシドニー半日観光へと連れ出された。空港の駐車場で我々を待っていたのは、トヨタのマイクロバスと生粋のAuzyであるMr.Gregだった。バスが小さいので(14人乗りに11人+ガイドだもん)荷物はバスの後ろに連結された「大八車」のようなものに積み込まれる。どうもシドニーではそれが普通のようで、そういった格好でバスが走り回っていた。
まず我々が案内されたのはミセスマッコーリーズポイント(Mrs. Macqurie Point)。シドニーのイメージはここからの眺めだろう。当日は曇り空だったので少々期待はずれだったが、それでも「シドニーだ!」と感激させるものは充分にあった。オペラハウスとハーバーブリッジ

これでもう少し晴れていたらもっとすばらしい眺めがみれたのだろう。次に向かったのはそのオペラハウス。内部に入ることは出来なかったので外から眺めるだけになる。この旅行の間に結局一度も内部を見ることができなかったの
で次回はなんとかして内部に入ってみたい。
ここでは海外初めての買い物をしている。絵はがきだ。外貨で払うのはなぜかうれしいものである。(単純なやつ) その後今度はハーバーブリッジを渡りノースシドニーへ。でも橋というのは眺めてなんぼのもんである。
続いてボンダイビーチに向かったがここでも曇っておりしかも寒い!どこが夏なんだー!と叫びながら車に逃げ帰った。
この後我々はシドニー中心部のホテルで昼食となったのだが、ここからが大きなトラブルの始まりとなった。まずホテルではなぜか1人分少なく注文が通っており、私の食事が出てくるまでかなりかかった。ステーキだったのだが、肉は固く、香辛料の香りがきつくあまりおいしいとはいえないシロモノだ。だがそんなことはどうでもいい。ここでよしこさんからおどろくべき言葉が飛び出したのだ!

「エアーズロックからケアンズまでの間はガイドがつきません。この中で
誰かがツアーリーダーになって下さい」
我々の間に大きな衝撃が走ったことはいうまでもない。しかも東京・名古屋組はそれぞれ2人ずつのグループで参加しており、互いに初対面。そうなると大阪で妙な連帯感の生じている関西組のほうがおのずとリーダーシップをとっている。さらにMとTの陰謀?で私が英語が出来ることにされてしまった。ということで気がついたら私がリーダーにされており、11人分のチケットを手渡された。でもエアーズロックでの説明がよーわからん。この時にチケットを確認さえしていれば、後々の問題はもう少しましになったのだろうが...

2時間程度かかった昼食後、我々はようやくホテルにチェックインした。ホテルはシドニー最大の歓楽街「キングスクロス」のはずれにある。部屋に荷物をおいた我々はシャンプーを購入するために街へと出た。なに故シャンプー? それは事前説明会で「日本と水の質が違うのでシャンプーは泡立たない」という情報をつかんでいたから。とりあえずスーパーでシャンプーを探したのだが、とてつもなく大きいものしかない。日本なんかだと「旅行用」などで小さなものがあるんだけど、そういったものはなく「お徳用」といったサイズのものしかない。テキのサイズにひるんだ我々であるが、昨日からの種々の衝撃に麻痺をした頭が「3$だったら安いじゃないか。お得だし」とささやきかけ、気がついたらむちゃくちゃ重いソイツ(推定2KG)をぶら下げていた。最終日までに1割も使わなかったというのは当然である。

どうもこのあたりから「変なモノ」が我々にとりついていたようで、ロックス地区へ行こうと地下鉄の駅に向かい、3人が順番に[One way ticket to Rocks]とチケットを購入したのであるが(オーストラリアには自動券売機はなかった)なぜか3人が手にしたチケットの価格はばらばら...同じ窓口で同じように購入したはずなのに... 結局正しい金額は私の購入したものだったのだが、でもなぜ?

ロックス地区ではケンドーンの店(日本人だらけ!)やWEISSで買い物をした。ケンドーンの店で飛び交っているのは日本語だし、値札も日本円。しかも通常海外に流出していないはずの硬貨(1円玉まで!)がありほとんど日本で買い物をしているのといっしょである。んでここでのトラブルの神様は私に微笑みかけた。昼に食べた食事が私のお腹にあわなかったようで...まあ、トイレに行きたくなった訳ですね
おかげで、ロックス地区のトイレを探し回ることになってしまいました。

そうこうするうちに日も暮れてきたので、ホテルに戻ったのだが、体調が悪くなっていた我々はホテルの前の雑貨屋でパンを購入して、それを夕食に変えることにした。フルーツパンといういかにもおいしそうな名前のパンを購入したのだが、ここでもトラブルの神様は我々を暖かく見守ってくださっていたようで、このパンはこの世のものとも思えないすごい味であった。(それから我々の仲間内では「フルーツパン」は禁句になったのはいうまでもない)

その後10時頃まで部屋でゆっくりしていたのであるが、自宅に電話することを忘れていたのに気づいた。そこでホテルの1Fの公衆電話からかけようとしたのであるが、これが使い方がまったくわからない。説明版もないのである。10数分悩んだ末、ようやく生まれて初めての国際電話をかけることに成功した(っていってもかけた相手は自分の親だからそんなに緊張することはないんだけど)。3$程度ですんだように記憶しているから、日本からかけるよりかなり安いのだと思う。

ということで、旅行2日目は終わった。でも我々に興味をもったらしいトラブルの女神(かな?)はこの旅行の最後迄、律儀につきあってくれた。

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