和倉温泉
旅行日:2002年8月3日-4日

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・8月4日
おいしいご飯とお酒に満足した一夜が明けました。家にいるときは朝はパン
を一枚しか食べないのに、旅行に出るとお腹が減ります。
あえの風の朝ご飯は、レストラン(昨夜のお食事処とは異なり、明るい七尾
湾に面したホール)で和洋バイキング形式。おみそ汁が2種類(田舎みそと
赤だし)あったり、焼きたての干物があったり、すごく品数も多くどれもが
おいしかったです。もう一泊くらいしてみたくなるお宿でした。
チェックアウトをして、車を玄関先まで回し出発しようとしたら、お宿の方
が飴を下さいました。「道中にどうぞ」ということです。車からお宿が見え
なくなるまで、みなさんで手を振って下さいました。
昨日は雨が降ったりしてすっきりしませんでしたが、今日はお天気がいいよ
うで快適な道を輪島に向かって走り、海辺の駐車場に車を停めて、朝市に向
かいます。ガイドブックやTVで見るのに比べると思ったより小規模な朝市
をうろうろしてみます。干物や野菜なんかを並べたお店からは、おばあちゃ
んが「こうてえな」と元気に声をかけてきてすごく活気がありました。
キリコ会館を見学後、能登半島海岸沿いに珠洲市を目指すことにしました。
途中「道の駅 千枚田」で休憩。ここは国指定名勝「白米の千枚田」のすぐ
脇にあります。国に指定されたのは1004枚ですが、実際には2092枚
あるそうです。1枚あたりの面積は1.6坪ほど。海の青と田の緑が美しい
コントラストを醸し出していました。

輪島の朝市の風景
思ったよりも規模は小さいです。
千枚田

コントラストがすばらしい



そこからさらに海岸沿いに北上(というか東かな?)。次に目に付いたのは
奥能登塩田村。揚げ浜式という方式で製塩がされており、予約しておけば、
体験もできるそうです。受付で塩をなめることも出来ます(コーヒーに少量
いれるとおいしいらしい)現在は塩というと瀬戸内(特に赤穂)を思い浮か
べますが、あちらは入り浜式で製塩されています。入り浜式は潮位の差を利
用して自然に塩田に海水がしみこむようにしていますが、加賀藩にはそのよ
うな大きな塩田が作れなかったこともあり、揚げ浜式塩田が成立しました。
大きな桶に汲んだ海水を塩田にまき、一日天日で乾燥させ、その砂を集めて
今度は釜で炊き込んでいきます。粗ら焚き1回と本焚き1回を行い、本焚き
は約10時間かかります。昔の製塩は大変だったんですね。でもこうしてで
きる塩は非常にまろやかです。

海水をこの塩田にまきます
この鉄釜で10時間煮込めば
塩の完成


次に向かったのは「見附海岸」です。弘法大師が見つけられたから「見附島」
と呼ばれるようになったそうです。実はここには高校の卒業旅行で来る予定
でした。しかしながら大学の合格発表と重なったため、泣く泣くあきらめた
場所でもあります。島は軍艦のような形をしているので、別名「軍艦島」と
呼ばれています。でも見附島のほうが風情がありますよね。
そこから少し南に下ると「恋路海岸」があります。こちらは「恋路行き」の
切符で一時有名になりましたよね。本当は、仲の良い若い二人を妬んだ男の
ために若者が溺れ死に、それを悲観した娘さんも後を追ってしまったという
悲恋伝説のあるところなんですが、今ではその名前から「恋人の海岸」「縁
結び」のほうが有名になってしまいました。

見附島
確かに軍艦のようにも見えます


ここまで思ったより時間がかかってしまったので、内陸部に戻り能登自動車
道で一気に南下。朝出たところの和倉の横を抜けて氷見へと向かいます。
氷見へは2001年にさだまさしパティオのオフで出かけたことがあり、そ
の時に寄った「
氷見フィッシャーマンズワーフ 海鮮館」を再訪することが
目的です。夕方になってしまったため、めぼしい鮮魚はありませんでしたが
屋台で食べたイカはすごくおいしかったです。ちょっと無理をして寄った甲
斐がありました。

さすがにかなり遅くなってしまったので、これ以上の観光は無理です。高岡
インターから高速で一気に京都まで戻りました。

結局一泊二日で約1000kmを走破するという強行軍になってしまいましたが、
「あえの風」というすばらしいお宿と巡り会え、またおいしいものをたくさ
ん食べることが出来、十分に満足しました。

(by たぬちゃん)