さだまさしさんの世界との出会い


さだまさしさんの音楽を初めて耳にしたのは、小学5年の頃だったと思う。
「関白宣言」が社会問題になった頃だ。当時の私はいわゆる「歌謡曲」に
あまり興味がなくベスト10なども見たことがなかった。そんな私でもこの
曲を知ることができたんだから、すごくインパクトのあった曲なんだろう。
(今ミリオンセラーになった曲でも、知らない曲って多いもん)

そんな折、東大寺落慶法要コンサートがNHKで放映され、たまたま見ていた私
は、「交響楽」「まほろば」といった曲にノックアウトされてしまった。すご
く美しいメロディライン。こんなすばらしい音楽があったんだと...

その直後レコード店で「夢供養」を買い、それこそレコードがすり切れるく
らい何度も何度も聞き返した。歌詞の意味ははっきり分からない(というか
世界観が理解できない)んだが、メロディの美しさが心地よかった。

この頃好きだった曲は「歳時記」「住所録」「空蝉」といったメロディのき
れいな曲ばかり。でも歌詞の内容は理解できなかった。だから私にとってさ
ださんは「作曲家」であって、さださんが好きな理由はそのメロディライン
にあった。そう極論をいえば歌詞は邪魔だった。この頃が「第一期」で25
歳頃まで続く。

会社に入ってすぐ(92年)母方の祖父が他界した。幸いにしてそれまで身内
の死というものに接したことのなかった私にとって「人、それも親しい」が
この世からいなくなるという現実は、それまでの人生観を変えるほどインパ
クトのあるものだった。その2年後、母方の祖母も他界した。実は祖母は、
祖父の死後、軽い痴呆の症状が出て、最後は寝たきりの生活となってしまっ
た。ほとんど反応のない祖母。でも私たち孫が見舞いにいくと精一杯の笑顔
で迎えてくれる。世間的にみたら「痴呆老人」。でも私たち孫にとってはい
つでも「やさしいおばあちゃん」だった。 その後しばらくして「おもひで
泥棒」という曲が発表される。「思い出と引き替えに幸せの回数券をためて
いる。でもそれは自分のためには使えない。それはぼくたちのためにためて
くれているんだ」という歌詞...この曲を聴いたとき涙がとまらなかった。
実は今でもこの曲を聴くとおばあちゃんの笑顔が浮かんできて涙がとまらな
くなる...
この曲をきっかけにして「死生観」に関連する曲の歌詞の意味が一気に理解
できるようになった。私のなかでさださんは「作詞家」としてもすばらしい
という認識が高まった。しかしさださんの「恋愛観」については理解ができ
ないままであった。このころが「第二期」でつい最近まで続く。

その後、とある事情で「恋愛観」が大幅にかわり、さださんの詩の世界が理
解できるようになった。「桜散る」「October」「ゆ・ら・ぎ」さらには「交
響楽」。古いと言われるかも知れません。甘いのかも知れません。でもやっ
ぱり人を恨むことはしたくないです。将来あの人が愛した人を愛せるような
大きな人になりたいです。

これから先、自分の人生経験を積み重ねることによって、さださんの世界が
さらに深まっていくのかもしれません。さださんの音楽を聴くことによって
すべてが解決するということはありませんが、少なくとも心の栄養剤になっ
ていることは間違いないです。

(by たぬちゃん)

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